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北海道遺産ピアソン記念館で知ろう!野付牛の開拓時代と人々に愛されたピアソン夫妻

エリア
道北・稚内・利尻礼文
投稿日
最終更新日:2019年2月27日
北見市の中心部近くにある北海道遺産の一つ「ピアソン記念館」。

高台の上にあるこの記念館はかつて開拓時代の人々を精神的に支えたご夫婦が住んでいました。
ここはその昔、アイヌ語で「地の果て」と言う名前の場所、野付牛(のつけうし:現北見市)で宣教活動をしていたピアソン夫婦の私邸。
優しさに溢れたその精神は今も北見市民に強く根付いています。

今回はこのピアソン記念館にフォーカスを当てていきたいと思います。

飛行機も汽車も未発達だった時代になぜこの夫婦は、この地に訪れ北見初となる外国人として住んでいたのか、この洋館はなぜ今も残っているのか、ピアソン夫婦とは一体どんな方々だったのか。
地元の人に愛されて今も残るこの記念館のステキな所を沢山ご紹介します。

ピアソン記念館の歴史

ピアソン記念館 歴史

1914年(大正3年)アメリカ人宣教師ピアソン夫妻が宣教活動の拠点として使用していた私邸でした。

故郷ニュージャージー州エリザベス市に似たこの高台の土地に、夫婦は住む事を決意。
スイスの山小屋風の洋館は当時とても珍しく、沢山の人が訪れました。

伝道の活動を終える1928年(昭和3年)、14年間住んだこの洋館を離れ、ピアソン夫婦はアメリカへ帰国しました。

その後数人の管理者を経て、1939年(昭和14)年に北見協会長老の唐笠学医師が住宅兼アトリエとして使用。
「柏樹荘(かしわぎそう)」と呼ばれ北見地方の文化活動の拠点となっていました。

北海道へ建物が寄付された後も児童相談所として使用され、1969(昭和44)年に北見市教育委員会が文化財として復元、保存が決定。
2年後の1971(昭和46)年にピアソン記念館として開館しました。

ピアソン夫婦とは

ジョージ・ペック・ピアソンは明治学院神学部の教師として、アイダ・ゲップ・ピアソンは米国聖公会宣教教師として来日し、東京で結婚式を挙げた二人はその後北海道へ宣教の拠点を移します。

北海道へ上陸後には札幌、小樽で教壇に立ち、旭川では遊郭設置反対運動や監獄伝道、アイヌ民族への人権活動や婦人の人権活動などを精力的に活動多くの功績を残しました。

1911年(明治44)年にピアソン夫婦は日本で最後の伝道地として野付牛を選択し、1914(大正3)年から1928(昭和3)年の14年間を過ごし、約40年間の伝道活動を終えました。

多くの時間を北海道で過ごしたピアソン夫婦は、略註付旧・新約聖書の出版というすばらしい偉業を納め、遊郭廃止などで多くの女性や人々を救うなど献身的な活動で多くの人に慕われていました。

ピアソン記念館のここが見どころ

北見の開拓時代がどんな時代だったのか。
ピアソン夫婦の事やゆかりのある方々を所せましと展示しているこの記念館。館内には讃美歌の美しい歌声が響いていていい雰囲気です。

たくさんの資料があり、みどころが満載です。ご紹介いたしましょう!

<1階>展示室・ホール

1.ピアソン夫婦の遺品や功績を紹介

ピアソン記念館 館内

ここには、ピアソン記念館が出来るまでの物語と教会の鐘、当時の野付牛が知れるスケッチなどが展示されています。
入って最初に見るもので、ピアソン記念館の概要的な場所です。当時は開拓時代の野付牛が見渡せる場所だったことがわかります。

ピアソン宣教師と北見

ホールに飾られている「ピアソン宣教師と北見」

スケッチ画

当時の様子がわかるスケッチ画

2.当時の野付牛が知れるパネルや遺品を展示

ピアソン夫婦 展示品

壁一面に当時のピアソン夫婦がどのような宣教活動を行っていたのかがわかるようパネルの下に説明書きがされています。
当時の人々の暮らしぶりなどもわかりとても興味深いコーナーとなっています。

ピアソン夫婦 展示品

どのパネルもたくさんの人々に囲まれて優しい微笑みを浮かべているピアソン夫婦が印象的です。
多くの人々に慕われていたことが分かります。

3.ピアソン夫婦の遺品の数々

ピアソン夫婦 展示品

ピアソン記念館にはたくさんの遺品の数々も展示されています。

中でも珍しいのは現在も活躍する遺品のオルガン。
交通がまだ発展途中のこの地にオルガンという大きな楽器を運び込むのは相当な事だったと思います。
現在もピアソン館で行われるコンサートには活躍するのだとか。

ピアソン夫婦 展示品

こちらの聖書はジョージ・ペック・ピアソンが日本語の聖書に解説をつけ、さらに地図や年表なども収録した聖書です。

この聖書編集作業の功績は素晴らしいもので、母校プリンストン大学から神学博士の学位が授けられたほどの偉業でした。
こちらは手に取る事も可能ですよ。

<二階> 寝室・応接室

4.ピアソン夫婦ゆかりの人々の資料を展示

ピアソン夫婦 展示品

ここでは北海道での34年間の北海道での宣教活動の中でゆかりのあった方々の資料を展示しています。
この写真の中になぜ「坂本竜馬が?」なんて思った方も多いでしょう。

その答えは、野付牛で開拓を進めていた北光社の「坂本直寛」(さかもとなおひろ)に理由があります。
なんとこの方は坂本竜馬の甥っ子という血統を持っていたのです。

ピアソン夫婦 展示品

幼い頃、19歳年上の坂本竜馬にも会った事があり、地元高知で志半ばに倒れた叔父の夢を紡ぐため、竜馬の夢の一つだった北海道開拓に尽力した人物なのです。
遠い開拓の地でピアソン夫婦と直寛の絆があったなんてなんだか感慨深いですね。

5.のちに知られたピアソン邸の設計者

ピアソン夫婦 展示品

ごく最近までピアソン邸はピアソン宣教師自身が設計・監督し、建設された物だと思われていました。
1995(平成7)年に大阪芸術大学の山形政昭氏の研究でピアソン邸がW・M
ヴォーリス氏の設計によるものだという事が判明しました。

しかも、彼の作品の中としてはごく初期のもので歴史的にもとても価値のある作品ということもあり、それを記念して2004年より資料室が設けられています。

6.ピアソン邸保存に尽力した唐笠氏

ピアソン夫婦 展示品

ピアソン夫婦がアメリカへ帰国後、しばらく空き家となっていたピアソン邸を私財を投入し買い取りました。
戦時下のこの時代に「柏樹荘」と名付けられたこの館は俳人である唐笠何蝶氏(本名 学)が中心となり、北見地方文化活動に多大な功績を残しました。

その後、ピアソン邸を保存するべく北海道へ寄付しました。

7.有名アーティストのPVにも

ピアソン夫婦 展示品

ピアソン記念館として宣伝はしていませんが、実は有名アーティストがPVで使用した場所でもあります。
そのアーティストとは歌手の「MISIA」さん

2012年発売の曲『恋は終わらないずっと』のプロモーションビデオでこちらの部屋が使われました。
正面のソファーで歌うMISIAさんと同じイスに座れるという事で全国のファンの方が探しに来ることもあるようです。

おわりに

いかがでしたでしょうか。ピアソン記念館には開拓時代の野付牛の歴史が色々と詰まっていてとても興味深いですよね。
たくさんの資料が展示されているので、時間を忘れて見入ってしまいそうです。

玄関には案内音声が聞ける案内があり、館内を周りながら詳しい説明をスマートフォンやタブレットで聞けるサービスもあります。
ぜひピアソン記念館を訪れていにしえの思いに耳を傾けてみませんか?

<ピアソン記念館へのアクセス、基本情報>
北海道遺産 ピアソン記念館
住所:〒090-0036北海道北見市幸町7丁目4番28号
TEL:(0157)23-2546
開館時間:午前9時30分~午後4時30分
休館日:毎週月曜日・国民の祝日の翌日(金・土曜日が祝日にあたる場合は当日及び翌日も通常どおり開館致します)年末年始(12月30~1月6日)
入館料無料
アクセス:北見駅から徒歩15分
HP:http://www.npo-pierson.org/

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